清野花帆(せいのかほ)
アクシス発見スクール1期生
高校二年生

カレンダーをめくってみると、第1回目の久野塾から半年が経とうとしていました。北海道から東京まで。飛行機で2時間とかからずに行けますが、気軽に行くような距離ではありません。「自分の軸を探す」そんなよく分からなかった目的のために東京へ向かった当時の私は、藁にも縋ると言ったら大げさですが、なにかを見つけなくてはならないと必死だったのです。

久野塾への参加が決定する前、面接の時のことをよく覚えています。私は将来への不安でいっぱいで、先の見えない自分に焦っていました。自分の好きなことは分かっている、自分の得意なことも分かる、でも自分がどう生きていけばいいか、本当にしたいことがなにかは分からない。ネットを見ると終身雇用は終わった、好きなことで生きていく、影響力のある人たちが自由に生きている様子が見えます。社会問題への意識が強く、なにかを変えるために人生をかけている人に憧れていた私は、いつしかそれ以外の選択肢が見えなくなってしまっていたのです。自分らしさで生きていく時代だという風潮に戸惑っていました。

街を良くすることに貢献したい、女性の生きやすい社会をつくりたい、子供の権利がもっと大切にされる世の中にしたい。いろんな想いがあって、それは嘘ではないし真剣に考えていることです。しかしそれは人生を捧げるほどの夢ではありませんでした。大人になったら休日は休みたいし、夕飯までには家に帰りたい。私は全てを投げ打って問題を解決することに貢献しようとは思えません。私は私の生活の充実も大切にしたいのです。ですが当時の私は、優先順位の一番にあるものが夢じゃない?と思っていたため夢のない自分の中身のなさに悩んでしまっていました。

久野塾では自分の軸とは心の向く方向だと説明されました。最初の頃はよく意味が分からず、「つまり夢だよね、私それ探しにきた!」と思っていました。これになら全てをかけて頑張れる、そんな夢を心の向く方向(アクシス)だと思っていたのです。

しかしそんなものは見つからず、「このまま久野塾が終わってしまったらどうしよう」とより焦っていました。そんな時にアクシスを持つと起きる3つの良いことというお話がありました。第一回の復習ということで、一度聞いた話だったのですが、その時再び聞くことで当時はなんとも思っていなかった言葉が響いたのです。その中に「私は」で話せるようになるというものがありました。私は「私は」で話すことができます。「私は」で話すとは、誰かが言ったからとかではなく、物事に対して自分の意見を持てるということです。私はそれを当たり前のことだと思っていました。その時、上手く言葉にはできないけど、私の中にもう軸はあるのではないかという気がしてきたのです。

私は自分の人生をライフカーブで振り返った時、その時の出来事が今の自分にどう関わっているのかを説明できます。また大きな決断による変化があった時、そこに根拠や理由を持っています。自分が何かをする時に判断軸となっているものが何かしらあるのです。

今はそれを上手く言葉にすることはできません。言葉にすると別のものになってしまうかもしれないから、それでもいいと思っています。これでは人に説明することはできないけれど、私の軸は他人のためにあるのではありません。「私ってこういう人です」と一言で他人に示せるようなものが軸だと思っていました。しかし今は自分の方位磁針になるもの、私がよりよく生きるためのものである気がしています。

小学生の時、将来の夢に公務員と書く子は夢がない、悲観的だと言われていました。社会に貢献したい、そんな想いと公務員はとても相性が良いです。他にも人生をささげなくても、社会問題の解決に関わる方法は沢山あります。何者かにならなくてはならないという強迫観念は、夢を持つことを必要とされ、公務員をつまらないと言われてしまう小学生の時から、始まっていたものなのかも知れないなと思います。私には当初思い描いていた、いわゆる夢はありません。何か大きな目標に向かって人生を歩んでいるわけではないけれど、進む方向は見えている気がします。方位磁針を手に入れた今は、未来への不安や焦りより期待やワクワクの方がずっと大きいのです。

アクシス発見スクール第2期(2020年4月開講)プログラム内容