「It’s never too late!」

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加島 綾乃 (カシマ アヤノ)
ダイアログ塾5期生

久野塾との最初の出会い。それは2014年に始まった大阪開催の芽塾。芽塾の塾長であった北村秀実さんと共通の知人から芽塾を紹介されたのがきっかけであった。

2014年は、私にとって雌伏の年でもあった。

その年の4月に異動。それまでの担当業務である人材開発からプロジェクトマネジメントという、まるで繋がりが感じられない領域へのローテーション。そして、いきなり全社的な重点プロジェクトのメンバーにアサインされ、如何に最速で進めるかに心を砕き、現場の研究員を束ね、試行錯誤、無我夢中の毎日があっという間に過ぎて行った。今の自分から見れば、“何故そうするのが良いのか、自分なりの考え、理由を持って進める”こと、“相手がどう思うのか、どう伝えればよいのかを考える”こと、・・・等さまざまな行動が少しずつずれていて突っ込みどころ満載だが、ずれていることがわかっても、何をどう修正すればよいのか、小手先ではなく何か根本的なところで合っていない感覚だけがあって、上司から怒られて、もとい、指導されてばかりいた。

芽塾でズナイデン房子さん(リレートーク第2回)の熱量溢れるお話を伺い、カンフル剤を注入されても効果は持続せず、私の仕事人生曲線は近年稀にみる低空飛行となっていた。

そして2015年は、そこから這い上がる年であった。

久野塾の全国大会が5月に萩の松下村塾で開催されると芽塾を通じて知ったのは、低空飛行真っ只中の頃。幕末やら明治維新やら、近代日本史にほぼ興味のなかった私がなぜか心惹かれ、参加してみようかなと思ったのは偶然か必然か。リレートーク第12回・小松弘幸さんの言葉をお借りするならば、「人は選択をして自分が本質と考える何者かになっていく。」だったのかもしれない。

萩では、維新の志士達が残した足跡に触発されたのはもちろんだが、それ以上に刺激を受けたのは久野塾のメンバーとの出会いであった。維新の里で感じたことを語り合い、ワークショップで意見を戦わせ、懇親会で打ち解けていくうちに、メンバーの面々にすっかり魅了されたのだ。わずか一日半の間の出来事であったのに、今でもすべてが鮮烈だ。

仕事人生曲線は相変わらずの低空飛行だったが、気持ちだけは少し上向きのベクトルになったところに、リレートーク第13回・岩井睦雄さんが監事を務めておられるアスペン研究所のヤングエグゼクティブセミナーの案内が届き、迷わず申し込んだ。難解な哲学や文学に悪戦苦闘を余儀なくされたが、他の参加者との対話を通じて古典に学ぶ三日間を過ごした後は、少しだけ世界の景色が変わって見えた。岩井さんがモデレーターをなさっていると知ったのは受講後であったが、思わぬ形で久野塾との縁を感じる機会でもあった。

こうして上向きになっていく気持ちに、少しずつ実践が伴ってきたのだろうか、仕事面でも変わってきたと上司から言われるようになり、同僚から頼られる場面が増えてきた。もっと自分を高めたい、と考えていたタイミングでダイアログ塾にオブザーブ参加し、大阪からの通塾を即決した。

このようにして迎えた2016年。2月からダイアログ塾は始まった。萩で出会ったメンバー、塾のオブザーブで出会ったメンバーの顔も見え、緊張と安心がない交ぜになったスタート。萩で、オブザーブで、一度二度会っただけなのに、どうしてこうも私の心に印象が残っているのだろう、不思議でもあった。

ダイアログ塾では、毎回テーマが与えられ、それについてプレゼンテーションを行う。それがどんなテーマであっても、最後は結局、自分は何を成し遂げたいのかという根源的な問いに行きつき、毎回自分と向き合うことになる。それは必ずしも上向きの気持ちだけではないが、日常の行動に少なからず影響を及ぼす。学びが足りないと思えば自己投資し、迷うときは人を観察してみる。その結果得たものは、自分の行動、実践につながり、自分と向き合うことによって自覚的なものになっていく。

久野塾にもっと早く出会えていたら・・・そう思うこともある。でも、it’s never too late, 今からでも遅くない。