渡辺美砂子(ワタナベ ミサコ)
オブザーバー会員

2013年、入社20年目45歳にして初人事異動によりグローバル人財育成担当となりました。地元を離れて研究学園都市にきて、今でいうAIを用いた創薬研究グループのリーダーになったばかり、さあこれからという矢先の職種転換・本社転勤です。高校時代からの夢実現の半ばで退場となった挫折感、びっしり詰まった社員研修や人事イベントをこなしつつその責任者であることへの緊張感と不安で心身が張りつめていました。20年もいると、新たな分野だろうが社内で丁寧に教えてくれることはありません。加えて娘と二人暮らし、横で支え分かち合う家族もいませんでした。
前任者から引き継ぎ頭を抱えていた一つが、3か月後に迫った世界的なエグゼクティブコーチのマーシャル・ゴールドスミス博士の社内講演会実施です。「誰?コーチングってスポーツの?口約束も契約なのか!!」大急ぎで書面契約を結び開催に漕ぎつけ好評を博しましたが、その時、ゴールドスミス博士来訪を担当されていたのが久野正人さんでした。

社内では、他部門の現実や人的力学を学び、社外では、終業後や休日を使って人財育成に必要な理論や実践を学び回りました。そんな中、久野さんご自身が私塾を立ち上げられるという。これは参加せねばと、オブザーバー会員として久野塾に登録したのは2015年だったと思います。所属や階層を超えた対話を通じて学びあい、切磋琢磨しながら志にむかって行動を促す。塾修了生は後輩塾生を、さらには次世代を担う中高生にむけたプログラムを開発し育成をつなぐ、流行りにのれば「共育エコシステム」ですね。仕事でも血縁でもなく、善きことを成し遂げる個でありたいという志でつながっています。たった1年で今の日本の楚を作った人財と関係性を輩出した松下村塾は、このような場であったのではと思えるのです。

久野塾の主役は、個を磨こうとする塾生です。理事は、塾生の共育の場を責任をもって維持されています。久野塾には、さらにオブザーバー会員がいます。私はもはや古参の一人となりましたが、オブザーバー会員の役割とは何だろうと改めて考えてみました。
Observe=観ること。ダイアログ塾では、塾生を観て、理事を観て、議論に隙間があれば発言したり、ワークショップのサポートをするときもあります。塾外を観て、学びたい育ちたい外を知りたいという方をみつけたら、塾を紹介しています。選ぶのは本人次第ですから、選んで残った方もいれば、別の場を探す人もいました。特定の誰かに責任を負うわけではなく、共育エコシステムの多様性を補填することで、一人でも多くの方が育ち実ればうれしい。これは私個人の見立てであり、会員になった方自身が役割を自己規定すればいい緩やかなものです。実際、いろいろな方がいろいろな関わり方をされています。

久野塾の主要顧客ではないでしょうが、敢えて今、私が一番伝えたい方々へのメッセージを記したいと思います。「バブルでGo」の時代をともした人たちへ。
私たち、ビジョンもパーパスも問われず持たなくても組織でも家庭でもそれほど困らず、敷かれたレールは続く。女性には岩や小石が転がっていましたが、自分の手で横にどけることはできました。あれから四半世紀。希望退職をかわせたと思ったら、次はモバイルオフィスにテレワーク。つい出社していつもの席に座っていませんか。30, 40代はビジョンを持ち一つの居場所に縛られずしなやか、プレコロナで逃げ切れそうな60代、その狭間で何やら時代に取り残された気がしませんか。私もその一人です。

吉田松陰は、獄中から高杉晋作にこう言ったそうです。「死んでも残るものを残せたと思えばいつでも死ね、生きてできることがあると思えばいつまでも生きよ」。志なり軸なりがなければ、いまの位置、ポテンシャル、ベクトルも自分でわかりません。残せたもの、まだできるものはどうやったらわかるだろう。私の仮説はObserving。周りをまっすぐにしっかりと観ることで、相対的に自分の位置と進む方向を図ります。人生100年時代、あと50年もあると思っていたのにCOVID-19から何も語れず去るかもという当たり前の事実を突き付けられました。
だからこそ、ちょっと違う場所で一緒にオブサーブしませんか。リードするのではなく、育とうする人の邪魔をしない、いまだに岩や小石が見えたらどけておき、時代の変化をつなぐ。バブルって、どんな隙間にもすっとはいれて穴埋めもできれば、弾けるときに位置を運動エネルギーに変えて影響することもできます。間接的逆説的ですが、それが自分の価値を知り四季を知り、よっしゃ!と死生を決められることになる思うとワクワクするのです。