久野塾に関わるようになって、はや10年が過ぎました。いま強く思っていることは、私が理事として久野塾にもたらした貢献度よりも、明らかに私が久野塾から得た価値の方が断然に多かったような気がしてなりません。

長きにわたり理事という立場から塾生のプレゼンに対して、感じたことをなるべくストレートに伝えてきましたが、そのあとにすぐに私を襲ってくるのは、「で、自分はどうなの?」という言葉でした。というのも、もう一人の自分がそれと同じ質問がこだまするように私に問いかけてくるのです。

コメントを発した自分自身が、もう一人の自分とシビアな問答を繰り返すことで、結果として自身の成長および行動の変革に繋がっていたような気がしています。それを如実に裏付けるような、自分にとって有意義な価値ある問答となったひとつのエピソードをここで皆さんにご紹介したいと思います。

それば、私がサントリーの執行役員・北海道支社長として自宅のある札幌に赴任した翌年の春のことで、私の著書の出版の話が再浮上した際の話になります。以前から自著を出版したいと考えていた私は、数年前からその実現に向けて精力的に動き、ついにビジネスコーチ社が主催する「ビジネスコーチアワード・優秀賞」の受賞のご褒美として、著書出版が決定していました。

しかし出版を予定していた会社が大手の出版社に吸収合併されたことで、出版の話は残念なことに立ち消えとなっていました。ところが後になって、その時の出版社の担当が別の出版社へ転職し、そこで私の企画書をその出版社に紹介してくれたことで、そのタイミングで再び出版が現実のものとなったのです。

そのような話を受け、再び出版の実現に向けて著書を書き進めていた私でしたが、会社にも一応、仁義切る必要があると考え、タイミングを見計らって私の直属の上司である社長(酒類部門)にその旨を打ち明けました。その話を聞いた社長の表情が突然変わり、「いまの拠点長としての仕事も満足にできているとは言えない中、出版という仕事以外のことに時間を割くのはあまり好ましいとは思えない」、と強いトーンで私に語りかけた後、落ち着きを取り戻して最後に「まあ、神田が出版したいというのに、自分が反対する権利はないけどな」と冷ややかな表情できっぱりと否定されたことがありました。

いま思えば、サントリーという大きな組織の中で、その一社員が会社での赤裸々な経験を著書にして出版するなどということは前代未聞であった(英会話や、ワインなどの専門書を除いて)ことは否めないが・・・・。執行役員という立場で、直属の上司である社長の意向に反して著書を出版すればおそらく自分の今後のサリーマン人生にとっては決してプラスにはならないだろうと。

まさに、その時の私は自分の意思を最後まで押し通してでも著書を出版すべきか、それとも社内での軋轢を避けて出版を断念するかの二者択一の決断を迫られていました。考えに考えたあげく、長きにわたってお世話になった今の会社ともめ事を起こすのは得策ではない。やはり出版は諦めようと・・・・自分の腹は固まっていました。

そのような中、いつものように英治出版にてダイアログ塾が開催され、札幌から参加していた私が、とある塾生のブレゼンに対して、以下のようなやや厳しめのコメントを発したことがありました。

「人生のビジョンを語ってもらう場で、会社の話ばかりになっている。自分の人生という広い枠組みの中で会社というものを位置づけなければ、本当の意味での自身のビジョンとはなり得ない。次回からは会社のことに加えて、会社意外の部分をしっかりと考えたプレゼンにして欲しい」と。

その瞬間また一人の自分が、「ちょっと待てよ、会社の枠の中だけで考えているのはお前じゃないのか?死ぬまで一生会社にいれるのなら別だが、少しぐらい偉くなったとしても、そこから10年もたたないうちにお前は、定年となって会社を去らなければならないことになる。」

そして「100年と言われる人生の長いレンジで考えるなら、今後コンサルタントやコーチとして、“人と組織に活力と成果を”というおまえのビジョンや目指すキャリアにとって著書を出版することがどんな意義を持つのが、しっかりと考えたことがあるのか?」と

自分の中で激しい問答が繰り返されている中、続けて鈴井副塾長の放った言葉が一気に私の目を覚まさせた。「ビジョンというものはそう簡単に実現するほど甘いものじゃない。それには常にリスクが伴う。リスクを乗り越えることで自身のビジョンが大きく実現に近づいていく」と。

鈴井副塾長のその一言は、出版を諦めようと考えていた自身の決断を大きく覆すこととなった。人生が100年時代に入ったことを考えれば、会社の役職などといった価値はほんの数年で消えてなくなるが、著書出版という成果はセカンドキャリアを発展させるための大きな原動力として一生の自分の財産となるに違いない。誰に何と言われようがこのチャンスを逃す手はない。よし、どんなことがあっても出版に向けて突き進もう。こんなのはリスクのうちには入らない。」と

ということで、再び出版に向けて突き進み、社内の人事・総務・法務・広報・コンプライアンス協議会(私の出版をチエックする機能として一時的に設立された)の厳しい検閲に必死に耐えながらようやく1年後に無事、出版に漕ぎつけることができました。その過程では、出版に反対していた社長に「おまえのおかげで各部署の人間がどれだけ業務外の仕事を増やされているのか、わかっているのか?」と嫌味を言われたこともありました。

いま思えば、あの時塾生に、「人生のビジョンを会社という狭い枠の中だけで考えてはいけない」と偉そうに放ったコメントが、まさにブーメランのように戻ってきて、私自身に気づきと勇気を与え、リスクある行動へと導いてくれたのです。もし、あの時久野塾で私があのコメントを発してなければ、おそらくこの著書は出版することができなかったと思っています。

おかげさまでその著書も長きにわたって少しずつ売れ続け、初版の5,000部も完売に近づき、今では私の貴重な今後のビジネスの展開における大きな財産となっています。

まさに久野塾は毎回のテーマを通じて塾生の方々との真剣なやり取りによって、お互いの個を磨く素晴らしい場であると改めて感じている。そのような久野塾で10年理事として少なからず貢献できたことは自身の誇りでもあります。あらためてこの場をお借りし、久野塾、久野塾長、鈴井副塾長を始めとする関係者の皆様に心から深く感謝したいと思います。

話は変わりますが、私はつい先日のサントリーの創立記念日である2月1日に、勤続が40年に達したということで永年勤続表彰を受けることができました。その一方で一昨年のコロナ禍の中、株式会社チームフォースを副業として設立しました。この会社は、コンサルティング、コーチング、トレーニングの3刀流の効果的なアプローチによって「人と組織に活力と成果を」提供するものです。

そして少なからず日本の企業の生産性の向上に寄与し、新しい日本の創生に貢献したいという思いで作った会社です。今後はこの会社を自身の活動基盤として、「挑戦を楽しみみなが成長し続け、そしてちょっとだけ世の中に貢献できる有意義な人生」を送りたいと考えています。」

さいごになりますが、塾生及び卒業生及び関係者の皆さん、今後入塾される皆さんへ、この言葉を送りたいと思います。

「人は必ず死ぬ」
「人生は一度きり」
「人はいつ死ぬかわからない」

この3つの真実を踏まえて、与えられた貴重な人生を悔いなく生きることが重要です。そのためには、自分の人生にやりがいのある大きなビジョンを描き、常に自分自身との対話を怠らないことです。そしてどんな苦難や障壁があっても「あきらめず、へこたれず、しつこく」信念を持って進んでいきましょう。そうすればきっとその先には光り輝く美しい未来が待ち受けているに違いありません。

今後の久野塾がますます大きく発展し、松下村塾に限りなく近づくことを楽しみにしています。