「個」より始めよ
寺岡 宏彰(テラオカ ヒロアキ)
インターネットサービス企業 取締役
ダイアログ塾6期生
2016年は自分の仕事人生で最悪の年でした。
私の所属する会社は、インターネット事業グループの戦略的子会社として、紆余曲折はありつつも業容拡大し、成長を続けていました。
しかし、親会社による方針が大きく変わったことで、事態は変わります。
それまで私が信頼関係を構築してきた社長は交代。会社を支えた安定的な収益事業は別会社に移管。会社のステークホルダーも変わり、事業方針は見直し。そういった変化によって、もともと潜在的にあった課題の数々も露呈。無尽蔵に会議が設定され、何がアウトプットかもわからないまま、時間ばかりが過ぎてゆく…
うまくいかない言い訳には事欠きませんでした。が、それらの言い訳には何の意味もなく、リーダーシップが必要なのは明白でした。しかし、どこから手をつけるべきか、確証を持てずにいました。
前年(2015年)にコーチをしていただいた久野塾長から声をかけていただき、ダイアログ塾5期生に名を連ねたのは、そんな大きな変化の年でした。多くのダイアログ塾の塾生がそうであったように、私もダイアログ塾で洗礼を受けます。
「会社と仕事が一体化して気持ち悪い」
「話している本人ばかりが気持ちよさそうで、伝わってこない」
「あなた自身がどうしたいかが伝わらない」
「”つもり”というのはただの自己中」
文字通りボコボコにされました。
その後、3回目のダイアログを最後に、私は挫折して消えてゆきました。仕事の事態収拾に忙殺されそれどころでなかった、という”言い訳”を自分にしながら。
その年、事業の重要指標がサービス始まって以来初めて対前年を割り、従業員満足度も連続して減少となりました。プライベートでも、平日に3歳の娘と夕食をとれる日はなく、共働きの妻への負担も大きい。課題は次から次へと顕在化し、熟慮も対処もままならないうちに、また別の問題が発生する。下りの坂道を背中を押されながら無理やり走らされている。そんな心持でした。
年が変わって2017年。私は、代変わりしたダイアログ塾のプレゼンの場に、再度たちました。のちに、同期の名児耶さんに「よく戻ってこれましたね」と言われたのですが、そのとき私に必要だったのは、立ち止まること、立ち止まって個としての自分に戻り、個を置き去りにして仕事と一体化してしまっていた自分を、個を中心に置いて思考と行動を組み直すこと、でした。
会社の肩書きを外し、いつの間にか喪失していた個人的な動機やビジョンと向き合い、同じように個を磨くメンバー(同志)との対話を通じて、「心と行動のキャリブレーション」(久野塾長)を行う場が必要だったのです。
とはいえ、ダイアログでは去年と同様にボコボコにされました。準備不足により場の価値を最大限活かせなかったり、まったくフィードバックがもらえないという”強烈なフィードバック”をもらったこともありました。
それでも最終回では、理事やオブザーバーのみなさんから「会社と渾然一体となって仕事が手放せない人だった寺岡が、自分を会社からひっぺがすことができた」「寺岡の個が開示されたと感じた、伝わった」「自分をもって、そのうえで会社にコミットするようになった」というコメントをいただきました。
不思議なようですが、会社と自分を引き離したことにより、事業の重要指標はV字回復し、従業員満足度も一気に連続下落前を超えることができました。同時に、私の仕事に費やす時間は大きく減らせ、私の家事育児時間や対応力が増えることで時短の妻は希望だったフルタイムで働けるようにもなりました。
私に必要だったのは、「個からはじめる」ことだったのです。立ち止まり、思い切って個からはじめ直すことが、絶望的な負のスパイラルを逆回転させる起点となりました。
ダイアログの最終回で鈴井副塾長から、「(寺岡の)変化に作用した場は、久野塾以外にもあったのか」という質問がありました。私の回答は「ボコボコにされる場だから帰ってきた。そこまで思わせる場はほかになかった」。忖度のない本心です。
私も仕事を中心にフィードバックをする機会は少なくありませんが、”ボコボコにする”のは案外難しい。芯を食った深い気づきを促す本質的なフィードバックであり、かつ、相手への愛とオーディエンスへの貢献意識に満ちていなければ、単なる批判でしかなくなってしまうからです。
それが多様に真剣に交わされる本物の場。個と個が志と愛をもって他流試合をする場。そのような場である久野塾に「寄航」しながら、私は個からはじめ直し、そしてその航海(探求)はいまも続いています。
最後に、2018年の話を少し。
会社の社長がまた変わることになりました(笑)絶賛議論中ですが、事業方針の転換もあるかもしれません(笑)私はまた、「2018年は自分の仕事人生で最悪の年でした」と言うことになるでしょうか?
それは分かりませんが、ただひとつ言えるのは、私は何を考えどのように時間を使うべきかを知っている、確信しているということです。
その後どうなったのか、私が自分のビジョンにもとづきどのように思考し行動したかについて、みなさんと久野塾で対話できることを楽しみにしています。