淺井明紀子(アサイアキコ)
ビジョン創造スクール4期生

VISIONは探し続けるもの~悶々と悩むことを楽しむ旅~

 

人生の節目で出会った久野塾~ビジョン創造スクール入塾の決意

私が初めて久野先生にお会いしたのは、4年前の社内研修で久野先生がコーチングを教えてくださった時でした。「行動変革シート(現在の個磨きシート)」により、変革したい行動を言葉にし、毎日チェックするという行為を習慣化していくことで、その当時自己否定をし続けていたスランプ期を脱することができました。

ただ、個磨きシートでのチェックによる習慣化によって、仕事の環境は改善されたものの、人生において何か行動に起こせていないことに焦りが生じ、自分が社会に、若い世代に貢献できるものはないかと考えることが多くなりました。私のVISIONって何?私にできることは何?気持ちはあっても「何ができる」という自信もない、私の存在価値はあるのか?などなど、どんどん苦しい気持ちになり、しっかりと自分のVISIONを考えてみたいと決意し、久野塾の入塾を決めたのです。

 

迷い続ける苦しみ

ビジョン創造スクールの講義は、ひとつひとつ深く考えさせられるものであり、とても新鮮で、刺激的なものでした。ただ、講義もいよいよ最終講を残すのみとなった今、まだまだVISIONが明確に描けていないことに不安も感じています。その要因の一つに、「自分に自信が持てない」という事があげられますが、その言葉の意味をさらに探ってみました。

そもそも「自信」とは、「自分の才能・価値を信ずること。自分自身を信ずる心。(大辞林)」とあり、英語ではConfidence“freedom from doubt; belief in yourself and your abilities”とありました。

また、「価値」とは、「①物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。② 〘哲学的な意味として〙 善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、特に、真・善・美など、普遍妥当性をもった理想的・絶対的価値をいう。(大辞林)」とあり、これらを基に私なりに「自信を持つということ」についてさらに考えてみました。

私が今まで思っていた「自分の能力」とは、人と比べて優れている、優位だという相対的なものであり、「自分自身の持つ絶対的なもの」ではありませんでした。

自分を俯瞰し、自分自身の内省、他者の評価も受入たうえで、自分の「能力」を見極め、それが社会からも期待・共感されている「責任」の上に立つものであれば、自分の「価値」として信じていいのだ、と思いました。さらに、「信じる(believe)」は、アングロサクソン語の「lief、leof」(親愛な)が語源でもあるそうで、「人間は愛するものを信じる」ようです。そういう意味においては、今まで自分を責めてばかりいましたが、自分自身も認め、愛してあげることも「自信」をつけるために必要なことなのかもしれません。

 

自分のありたい姿

VISIONを明確にできない要因のもう一つに、評価されたい、減点されたくない、という想いから「正解」を求めているという事もあげられます。

そもそも「正解」とは何か。文字通り「正しい解釈」ですが、「正しい」という判断にそもそも、他者との整合性、一致を求めているようなところがあり、まさに私も相手が求める考えに合わせ、それが「答え」だと思い込む傾向がありました。すぐに「答え」がみつかると安心し、それ以上の思考を深めていなかったのです。VISIONはまさに、「正解」があるわけではなく、簡単にこれだという「答え」もないもの。苦しみながらも探し続け、その旅の途中で、仲間とギフトを互いに与え合い、少しずつ具現化されていくものなのかもしれません。

「正解」と思われることに縛られず、自分で描く世界を大事にする。その答えがすぐに出ないことに焦らない。一歩一歩今すべきことに集中し、たまには立止り、俯瞰しながら、うろうろしている自分を楽しめばいい。久野先生からの「悶々としながらもそれに耐え抜いていく力」をつけなさいというアドバイスは、そういう事なのかなと解釈しています。

 

ここで、ふと思い出した光景がありました。スイスでの山登りは私の好きなことの一つですが、ある日一人のおばあさんが、一歩一歩じっくり味わいながら、花を楽しみ、景色を愛でながら、最高の笑顔で着実に頂上を目指す姿がありました。

私自身も「VISIONを達成した世界」という頂上から見る景色をワクワク想像しながら、仲間とともに旅を楽しんでいきたいと思います。