上田史比等(うえだふみひと)
アクシス発見スクール1期生
高校二年生

正直、自分がこの手の催しに参加することになるとは思っていなかった。こういった「意識高い系」の集まりは、大抵綺麗事を言うだけの会で、実生活の役には立たなそう、と思っていたからだ。

それに、当初の僕には「映画関係の仕事がしたい」という夢があった。本当にそれしか道がないのか、という疑問は薄っすらあったものの、僕はこれを結構気に入っていて、人に尋ねられたら決まってそう答えていた。感心したようなリアクションが返ってくるからだった。「高一の夏に1ヶ月映画留学したんですよ」という決め台詞を付け加えると、もっと感心された。自分のアクシスはもう見つけているつもりでいた。

だから、本当はアクシススクールに乗り気ではなかった。

ではなぜ参加を決めたのかというと、父の勧めだったからだ。彼は僕がスクールに参加する前に久野塾に通っていた。僕以上に綺麗事が嫌いで、ぶっきらぼうで、プライドの高い、面倒な人。そんな人が、久野塾に参加した一年間でガラリと変わるのを僕は間近で目撃していた。ちょっとだけ、僕たち家族にも心を開いてくれるようになった(元々心を閉ざしていたのが異常だったのだけれど)。何が彼を変えたのか気になっていた。

蓋を開けてみると、久野塾はただの意識高い系の集まりではなかった。自分の心に素直に話してみよう、どんな意見も受け入れよう、だとか、確かに聞こえは綺麗事だが、ここではそれが単なる綺麗事で終わらない。ほとんど全員が初対面のはずなのに、なぜだかみんな割と本気で本音を語ろうとしていた。もちろん初っ端から百パーセント開示なんてのはできないけれど、みんなが飾らない姿をさらけ出そうと頑張っているように見えた。そういう場が自然と形成されていたのだ。そんな中で、僕は確固たる将来の夢をもった高校生を演じているだけだった。

僕はその場で自分を恥じた。勝手に周りを警戒して、綺麗事で済ませようとしていたのは僕の方だったのだ。年五回しか会わない人たちに対して見栄を張ってもどうにもならないというのに。

とりあえず、本音で話すことにした。すなわち、映画について語ることにしたのだ。将来の夢としてではなく、今熱中している物としての映画について。なぜ映画が好きになったのか、映画に出会って何が変わったのか。当然、気持ちが良かった。そして不思議なことに、自分の気持ちが良いと、人の話を聞いていても楽しい。この人はそんなことを考えて十何年生きてきたのか、と素直に感心した。

その後四回のセッションでは、何よりも本音を意識した。すると、今までわからなかった本心が少しだけ顔を見せるようになった。仲間の話からも学べることが増えていった。感覚が研ぎ澄まされていき、話せば話すほど、新しい発見があった。同時に、肩の荷が下りていくような気がしていた。何を言っても許される仲間が見つかった、という気分だった。理想も、挫折も、後悔も、恥ずかしがる必要なんてない。思ったことをシェアする。そんな単純なことがどれほど重要なのか、やっと気づくことができた。

第四講の日の朝のこと。仲間たちと近況報告を兼ねて雑談をしていると、そのうちの一人が、「こないだ勧められた映画面白かったよ。フミちゃんが勧めてた理由がわかった気がする」と言ってくれた。一番嬉しいフィードバックだった。自分が頑張って伝えようとしていたことが、ちゃんと相手に伝わって、しかも結果的にその人が喜んでいた。自分の本音がしっかり人に響いていたというわけだ。

人に影響を与えるということ。思えば、僕の原点はそこにあった。十歳の時、小さいながらに映画の世界に衝撃を受け、人生観が一変したのを鮮明に覚えている。それ以来、僕にとって映画は、単なる趣味を超えて、努力のモチベーションや心の拠り所にもなった。今度は自分が誰かに影響を与える側になりたい。誰かの人生を変えてやりたい。それが僕が見つけたアクシスだ。まだまだ荒削りだし、ぼんやりとしているが、方向性は間違っていないと確信している。

アクシススクールを終えて変わったことを一つ挙げるとすれば、将来の夢について聞かれたときに、「映画」と胸を張って言えなくなったことだ。もっともこれは決してネガティブなことではない。代わりに、もっと大きな視野で、成し遂げたい目標が見え始めたのだから。その目標への道の一つとして、映画の仕事という選択肢が手元にある。ただそれだけのことだ。他の道を選んだっていい。何より大事なのは、十七歳の上田史比等が必死に自分自身について考えたという経験だ。壁にぶち当たったらその足跡をもう一度辿ってみればいい。進み方のヒントが見えるはずだ。