「なぜ走るのですか?」

水野さん
水野龍也(ミズノタツヤ)
ダイアログ塾5期生
公認会計士

 

「なぜ走るのですか?」
そう聞かれる度に答えに窮してしまう。自分はいったい何のために走るのだろう。

ゴルフコースを少し歩くだけで息切れし、そのせいでアドレス中も肩が上下する。このままではマズいと走り始めたのが6年前。初めは5キロも走れなかったのに、継続していると次第に距離が伸び、スピードも速くなってきた。頑張らなくても身体が勝手に前に進む。景色が後ろに流れていく。顔に風を感じる。次々とアイディアが浮かぶ。自分に不可能はない、といった万能感に包まれる。これがランナーズハイ。数か月後には20キロを1時間45分で走れるようになっていた。

走り始めて1年、駐在先の上海で初マラソンに挑戦。目標は4時間と控え目に設定した。スタート直後、数万人のランナーが観光名所の外灘を占拠。自然と笑みがこぼれる。ゼッケンなしランニング&ステテコ姿のおじいちゃんが乱入、係員の制止を振り切って疾走していく。

20キロ地点、まだまだいける。PM2.5なんて知られていなかった時代、ランナーの脇を年代物トラックが黒煙を上げて走っている。30キロ地点、悪夢の始まり。走る気力はあるのに体が言うことを聞かない。意識が遠のく。僧侶姿の裸足ランナーがペタペタという足音を残して私を追い抜いていく。

40キロ地点、このマゾ的で馬鹿げたイベントも間もなく終わり。不意に中学時代に不良に絡まれて心細かったことを思い出す。続いて高校、大学、社会人と、人生の各ステージで最も辛かったことが次々と思い出された。これがあの走馬灯って奴か。果たして自分はここで死んでしまうのか。感極まって上手く呼吸ができないし、涙で前がよく見えない。

「只有両百米、加油!」(残り200メートル、頑張れ!)という沿道の声援にふと我に返る。そのままフラフラのぐじゅぐじゅになってゴールになだれ込む。

こうして幕を閉じた初マラソン、記録は屈辱の4時間32分。世間の人はどうであれ、自分だけは初マラソン4時間切りは余裕だと確信していた。そんな独りよがりは42.195キロという圧倒的存在を前にあっさりと打ち砕かれた。

最近、これとよく似た経験をした。久野塾のダイアログである。元々プレゼンには自信があった。しかしテクニックだけでは到底太刀打ちできない。問われているのは借り物ではない、自分個人の魂の主張である。そんなものを絞り出すトレーニングはしたことがない。

「あなた個人にとって最も重要な顧客は誰ですか?」次回のプレゼンに向けて今日も産みの苦しみを味わっている。2016年はそれこそ走馬灯に登場するような忘れられない1年になる筈だ。久野塾、関わる全ての人々にとって圧倒的存在であり続けて欲しい。

さて、衝撃の初マラソンから15か月後にようやく4時間切りを達成、東京マラソン2016では3時間15分切りに成功した。それなのになぜまだ走り続けるのか。答えは未だに見つかっていない。