杉浦野衣(スギウラ ヤエ)さん
ダイアログ8期生、ダイアログアドバンスド2期生
~個を磨き続けるということ~
2018年秋、初めて久野塾の萩でのリーダーシップセミナーに参加した帰りの新幹線で翌年のダイアログスクールへの参加を決めました。
萩では、松下村塾での上田宮司の講話のあと、普段はボランティアの観光案内をしているというおばあちゃん、敏腕(そうな)弁護士さん、会社経営者の皆さん、と様々なバックグラウンドの皆さんとワークショップをしながら「この混沌な感じ、好き」と感じたのを覚えています。
これまでの人生の中で、自分の在り方を変えたと感じる場面の記憶がいくつかあります。
小学5年生のころ、歌うことが大好きだった私は、クラス対抗合唱コンクールの練習で、(おそらく周囲のクラスメートと比べて)人一倍感情をこめて、気持ちよく、大声で歌っていました。ある時、歌う姿を先生に褒められたのですが、あまりにも周囲とかけ離れた歌い方だったようで、「自分は浮いている?」と気になって、次の日から意識しておとなしい歌い方をするようになりました。
会計士試験に合格し就職して6,7年経ったころ、仕事が楽しく、また会計業界が人手不足であったこともあり、私は仕事ばかりしていました。一方、周囲の友人は結婚・出産というライフイベントの嵐です。当時、私は周囲の評価を気にして、仕事一辺倒な自分を適度に隠しながら、「プライベートも充実」した姿を演じようとしていました。そんな時、とある大学教授と話す機会がありました。「若いころ、研究に没頭する私を周囲は馬鹿にしていたが、みんなと飲みに行くより研究のほうが楽しければ、研究していればよい」という言葉を聞き、仕事が楽しいのであれば、とことん仕事を楽しもう、と純粋に仕事を楽しみ、仕事に没頭するようになりました。
これらの場面は、他人の言葉によって、周囲からの評価を意識し、また、他人の言葉によって、周囲からの評価から解放された場面でした。
そしてその後10年ほど、忙しくも充実した仕事中心の日々を過ごし、久野塾と出会いました。久野塾と出会って、自分の在り方が変わったかというと、まだその変化には至っていません。ただ、他人の評価からは適度に開放されていた自分が、実は自分自身が「どう在りたいのか」を真剣に考えたことがなかったことに気づかされました。自分として、自分が何者なのかを評価したことがなかったのです。
2年前に久野塾のダイアログスクールに参加し、一年を通じて自分のビジョンについて話す機会を得ました。けれども、まだ解像度の高いビジョンは見つけられていません。そんな中、昨年からのコロナ禍の閉そく感の中で、さらに「私はどう在りたいのか」という問いへの探求心が強まり、その答えを追い続ける一つの道としてダイアログ・アドバンスに参加しています。
そしてダイアログ・アドバンスを通じて、自分自身の在り方を考え続ける中で、コロナ禍の不便な世の中を憂う感傷は理性(合理)をもって制御するとともに、この不確実な世界をそのまま受け入れることのできる寛容さ(情理)を兼ね備えた人間になりたいと、思い始めています。Lead the self – Lead the people – Lead the societyの出発点である個を磨くこと、その原点に戻り、個を磨きながら人間性を高め続ける中で、自分が在りたい姿を探してゆく、実はその姿勢そのものが私のありたい生き方なのかも知れません。
私にとっての久野塾は、「個を磨く」というビジョンのもとに集まった人々と、ひとりの人間として、誠実な対話ができる貴重な場所(空間、時間)を生み出す「有機的な何か」です。その「有機的な何か」は、時には場所を変え(東京であたり萩であったり)、交わる人々も様々で(理事・アドバイザー・塾生も多様なバックグラウンドの方ばかりですが、何より萩では観光案内をボランディアでしているというおばあちゃんまで!)、久野塾に関わる誰しもが変化を楽しみ、また久野塾自体が変化しながら、時として孤独な私の「自身の在り方を見つける」作業に、愛情をもって誠実に寄り添ってくれます。
そうした久野塾に出会えたことに心より感謝し、また明日からも個を磨き続けようと思っています。