藤原 侑佳(Yuka Fujiwara)

(ビジョン創造スクール3期生 ダイアログスクール8期生)

「偶然を必然に変える。運命を切り開く」

私が久野塾に出会ったのは、塾長の同級生である萩の東光寺の尾河住職とご縁があったからだった。「今度萩に久野塾と言うのが来るけど、あなた参加してみない?」
初めて触れた久野塾の空気は独特なものに感じた。今思うとあれは「対話によって生まれた一体感」と「共鳴し合う個」なのかと思う。ただその場しか触れていない私には圧倒されるだけの時間だった。『今後久野塾と自分が関わっていくことはないだろう。』
それほど「当時の自分」と久野塾には隔たりがあるように感じた1日だった。
そんな自分がなぜ久野塾に入ったのか。それは「ビジョン創造」スクールの存在だった。当時「10年後どうなっていたいのか」「会社で何を実現したいのか」「個人としてどう生きたいのか」悩みの中にあった。白い紙を目の前に置き何時間考えてみても、本を読んでみても、他人の将来像を聞いてみても一向に心躍るビジョンが見えない。脳に靄が掛かったように思考の先が見通せない状態だった私が「何か」が見つかるかもしれないという期待を持った。「将来・ビジョン・なりたい姿・進むべき道・夢?」そんな札だけが沢山木に引っかかっている鬱蒼とした森で迷子になっている自分が果たして何かを見つけられるのか・・という不安と共に、ではあるが。

ビジョン創造スクールに参加し、「個を磨く」という言葉に触れ続けて思ったことは「武器を持つ」ことの大切さだ。人は生まれながらにして色々な道具を持って生まれてくる。人によって持っているモノも違えば、性能の良し悪しもあるが、何も持たずに生まれてくる人間はいない。成長する段階でも「道具」は様々な方法で与えられ続ける。家庭や学校や経験などから。ただし、この道具たちを正しく使える人は多くはないように思える。道具を使い続け、性能を上げていくと、それは「武器」に変わる。「道具」も「武器」も自覚がなければ正しく使えない。持っているだけでは宝の持ち腐れになる。いずれ錆びる。だから磨き続けなければいけない。磨かれ続けた「武器」は唯一無二の「個」を形成する唯一無二のピースとなり、他人の中に新しい「道具」を生み出す力となる。久野塾で学ぶ中で、今まで知らなかった「道具」にいくつも出会った。また、知っているし持っているけれど、正しく使えていなかった道具の存在にも気が付いた。

そして分かった。自分は今までビジョンを探す森に、ランタンも食料もコンパスも持たず、単身乗り込んでいたようなものだ。何という怖いもの知らず。迷子になって泣いていたあの時の自分に教えてあげたい。「道具は装備したか?準備はいいのか?」と。

「準備」とは行動変革と習慣化の中にヒントがあった。行動変革は持っている道具を使い武器へと磨き上げていく行為であり、森に入るためのストレッチであり基礎体力作りであり栄養管理である。これを諦めずに愚直に続けていき習慣化する。

『なるほど。塾では毎回理事たちお一人お一人が道具を手渡してくれていたんだ。』ということに、ビジョンスクールが終わってから気が付いた。
参加している間は必死の極み。『付いていこう。理解しよう。考えろ。』で終わった9カ月。
しかしそこには私の「心の癖」が働いていた。
それは今起こっていることを「偶然」の出会いと思って過ごしてしまうという癖。過ぎ去ってから本質に気づく。幸せの中にいて幸せに気づきにくく、楽しさの中にあって楽しんでいることに気づきにくい。学びの中で劣りを感じ、チャレンジの中で苦痛を感じる。そして過ぎ去ってから気づく。幸せだった、楽しかった、成長できた、限界に挑んでいた、ということに。気づいたその瞬間「偶然」は「必然」に変わる。過去の「意味」が変わる。(今が必然のその時だと気づいて過ごすことができたらどんなにいいだろう)

ビジョンスクールで学んだ9カ月の間に得た道具とその磨き方は、今の私にとって得難い物だ。久野塾とは「偶然」出会った。そして今は「必然」の出会いに変わった。
「森」の奥深さを知り、暗さを知った。そしてそれに向かい合う方法と道具を知ったからだ。

これからも多くの人・出来事に出会うだろう。「偶然」に。
その出会いを一つでも多く「必然」に変えていきたい。沢山の「必然」が積み重なった先には切り開いた「運命」があると信じている。

そして目を開いて横を見れば、手に灯りを持った同じ森を彷徨う沢山の仲間がいるんだろう。