New Self and the Brave New World

岡津守男2

岡津 守男(オカツ モリオ)
久野塾理事・アドバイザー、発明家

歴史の転換点には必ず、歴史的役割を果たす人々と彼らが集う場所がある。歴史的役割とは大げさなものである必要は無い。あなたが置かれている場所、置かれるべき場所で、「あなたは何を見ているのか?」(エレミヤ 1:11)この問いを意識し続けていることに尽きる。この時代に久野塾が設けられていること、それ自体に歴史的な意味がある。

VUCA(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)の時代と突然言われ始めたが、この言葉が冷戦終結後の世界における安全保障上の危機の認識として、アメリカの軍事研究から生まれたことをどれほどの者が知っているだろうか。それが25年以上たった今、危機の認識として作られたその言葉が、あたかも流行語のように復活したことの意味は何か?そのことを語れなくとも、そこに意識を向けることで、この言葉とそれを語るものが真正(authentic)なものとなる。

今と言う時代は、人類史上でも稀に見るレベルの、歴史の転換点なのだ。少なくとも「ロボットに仕事を奪われる」などという産業革命以来の、つまり考古学には属しても未来予測とは程遠いナラティブが通用するようなレベルでは既にない。昨年来、英語圏で多くの言葉に変動が生じている。 言葉とは概念の最小パッケージであり、その概念に中に本質と価値が秘められているのだが、その価値の逆転現象が(global という言葉を筆頭に)多くの言葉に生じている。

これは集団的マインドセットのシフト、つまり意識革命の証拠である。私たちはこの中に、危機感と期待感を見出せる。 なぜなら言葉について言えば、ヘブライ語で「危機」を意味する言葉(mashber)には「産みの瞬間」(moment of birth)、「新しい命を与える」という意味が含まれているからだ。まもなく私たちは新しい世界を見るだろう。それに気づく者がどれだけいるかは別として。

まさにこの時に、久野塾にもある種の覚醒が生じていることも、私たちの歴史的役割を考えれば必然だろう。進歩、成長はこれまでも、そしてこれからもあり続けるだろうが、覚醒とはそれらとは異質なものである。個人レベルでも、場のシナジーとしてもそれは見られるが、共通しているのはある種の開放感、肯定感、そこから来る自然な大胆さである。

覚醒を人為的に生じさせることには限界があるし、そんな事はしないほうがいいだろう。久野塾には自然な覚醒を妨げる要因が極めて少ない、それだけのことである。久野塾のプラットフォームはあきれるほど現実的、しかしそこでの時間は驚くほど非日常的である。ここでは言葉がまっすぐに響きあう。あなたはこの場で「個」であり、それ以上でもそれ以下でもない。そしてここには正解がない。だからこのような認識に至れる。「本質を隠して(もしくは隠していることに自分では気づかずに)表面的に世の中の「正解」にアジャストして生きることは、本当は苦しいのではないだろうか?」(ビジョン1期・ダイアログ5期 森田さん)この苦しみから解放されて人は覚醒する。

覚醒とは、突き詰めれば、「本質への飢え渇きとその自覚」だろう。飢え渇きは、欠乏感とは反対に、満たされることより飢え渇き続けることに幸いがある。なぜなら本質への飢え渇きとは、「実存として生きていく」(ダイアログ5期 小松さん)時に必然的に生じる魂の願望の現われだからであり、好奇心、向上心、啓発などの源泉だからだ。その結果、たとえ自分では気づかなくても、人はより authentic な者になっていく。

本質に飢え渇き続けるあなたは「自分の Operation System が激しい頻度で更新されているのを感じる」(ビジョン1期 ニノ方さん)だろう。イノベーションがあなたの人生となっていく。 今生まれつつある新しい世界とともに、あなたも日々新しい人になっていく。だからあなたがこの時代に生を授かったのだ。