織井 弥生(Yayoi Orii)理事/アドバイザー

あなたは一日に何分、自分の姿を鏡で見ますか?せいぜい15分、30分、いや5分未満という方も多いかもしれません。一方、あなたの家族や仕事仲間は、毎日30分どころか何時間もあなたを見ています。(逆にあなたも周りの人のことを何十分、何時間と見ているでしょう。)つまり、周りの人はあなたに関するかなり多くのデータを持っています。

自分のことは自分が一番良く知っている、と思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか? あなたが知らず知らずにしている表情、動作、言葉、癖を周りの人は四六時中見ている、いえ、見させられています。それは自分が知らない自分自身に関する情報の宝庫です。少なくとも、人は盲点や未知の領域に満ちていると言えそうです。

そもそも「私」とは誰でしょう? Who am I?  人生を通しても答えに辿り着けないかもしれません。ただ、自分を認識し理解することを追求すればするほど、自分を過信することができなくなるというのは真理でしょう。マザー・テレサは、「己を自覚すれば、人は謙虚になります」と言いました。

謙虚とはどういうことでしょうか? 辞書には「自分を偉いものと思わず、素直に他に学ぶ気持があること。へりくだって相手の意見などを受け入れること」とあります。英語では humility ですが、語源はラテン語のhumus (地面) 、humilis (低い) にあります。謙虚の反対は、慢心 (arrogance  おごり高ぶる心) です。慢心は、エゴ (ego 自我) から生まれます。ego はラテン語の“ I ” (私) ですが、「私」を過信するとき慢心が生まれます。

また、心理学者ユングによれば、エゴ (自我) は意識している自分の中心に位置するものです。ところが人の心には無意識の部分がずっと大きく存在し、意識と無意識を含めた心の全体が自己です。意識を無意識の領域へと深めることが自己理解です。

ちなみに、慢心になる兆候として、必要以上に「私」を主語に多用して話すようになる、相手よりも自分が話している時間が異常に長くなる、ということが挙げられます。確かに、自分のことばかり話す人には周りを顧みない傾向が強いと気付きます。

自己理解の手がかりとして、価値 (value) と価値観 (values) について考えてみても良いでしょう。人の価値は努力によって作り出せますが、その価値自体は相手が決めます。その意味において、人の価値というものは非常に外面的なものだと言うことができます。しかし、時として人は価値を自分自身と履き違えてしまうことがあり、それは自分を見失うことに繋がりかねません。一方、価値観は人の内面にあり、思考や行動の基礎となっているものです。価値観は状況により変わり得ますし、変えることも可能です。さらに言えば、長期に渡って不変な価値観は主義・原則(principles) で、それは人のアイデンティティ (identity  自己同一性) と密接なものです。

いまグローバル・リーダーが特に持ち合わせるべき重要な価値観は何かと問われたとき、謙虚であることだと私は答えます。現代で個人的あるいは組織的に大きな問題が起きたとき、必ずと言っていいほどその背景にあるのは謙虚さの欠如です。私達は、権威や役職を追求しそれを誇示することを好む人の元では正当に扱われていると感じにくいものですが、立場に関係なく相手から学び、自分よりも組織やメンバーのことを優先する人の元では自己肯定感を高め、内的動機を見出しながら働くことができます。そのようなリーダーは、結果として自身のみならず組織の価値を高めることに貢献します。

久野塾の「個を磨く」プロセスにおいても、慢心を排除し謙虚であることが学びを高めるうえで重要だということに気づきます。塾生の入塾当初の謙虚さの度合いは様々ですが、参加を重ね、仲間からの親身かつ客観的なフィードバックを浴びるうちにさらなる謙虚さを体得していきます。自分が常に正しかったわけではないと知り、進化・成長のためにはそこから目を逸らしてはならないということを突きつけられるからです。久野塾で身につけた徳としての謙虚さは、やがて久野塾を離れ、それぞれの舞台で人と組織をリードするときに価値を創り出していくことでしょう。

最後に、聖書の一節を引用します。
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 (マタイ23章12節)

(参考文献)